昭和自動車
昭和39年12月からワンマンカーの運行を開始。
当初のワンマンカーは前中引戸。
当時の塗色は尾道市交通部とよく似ており上部が萌黄色、腰部が白で裾が紺色。
昭和44年からボデイの側面の外板をステンレスにした特注車両を導入開始、昭和54年まで導入された。
塗色も銀色に赤い帯のカラーリングに変更された。
車両は大型車シャシ4メーカーから導入。
ボディは富士重工業製や西日本車体工業製が多かったが、いすゞ車と三菱車はメーカー標準系のボディ(三菱車は呉羽)でも架装していた。
日野車の標準ボディでの導入は平成2年頃から本格化したが、それ以前は富士や西工が対応していない車種など限定的だった。
貸切の経年車は路線車に転用される事が多かった。

福岡2あ2278 日産ディーゼル5RA104(富士)昭和44年式
乗合/貸切兼用車 ステンレスボディ車
乗合/貸切兼用車 ステンレスボディ車

佐2あ1581 日産ディーゼル5RA106(富士)昭和45年式
乗合/貸切兼用車 ステンレスボディ車
乗合/貸切兼用車 ステンレスボディ車

佐2あ1581 日産ディーゼル5RA106(富士)昭和45年式
乗合/貸切兼用車 ステンレスボディ車
乗合/貸切兼用車 ステンレスボディ車

佐2あ1616 いすゞBU15P(川崎)昭和46年式
元貸切車 川崎丸形ボディの通称オバQバス
元貸切車 川崎丸形ボディの通称オバQバス

佐2あ1616 いすゞBU15P(川崎)昭和46年式
元貸切車 川崎丸形ボディの通称オバQバス
元貸切車 川崎丸形ボディの通称オバQバス

福岡22か・・87 日野RC300P(西工)昭和47年式
ステンレスボディ車
ステンレスボディ車

佐賀22か・155 日野三菱B805L(西工)昭和47年式
上記日野RC300Pとほぼ同仕様で導入された三菱車
ステンレスボディ車
上記日野RC300Pとほぼ同仕様で導入された三菱車
ステンレスボディ車

佐賀22か・144 日産ディーゼル6RA107(富士)昭和47年式
元貸切車 乗合/貸切兼用車 ステンレスボディ車
元貸切車 乗合/貸切兼用車 ステンレスボディ車

佐賀22か・144 日産ディーゼル6RA107(富士)昭和47年式
元貸切車 乗合/貸切兼用車 ステンレスボディ車
元貸切車 乗合/貸切兼用車 ステンレスボディ車

福岡22か・320 日産ディーゼルRA50P(富士)昭和48年式
元貸切車 ステンレスボディ車
元貸切車 ステンレスボディ車

佐賀22か・325 日産ディーゼルRA50P(富士)昭和50年式
貸切車当時 ステンレスボディ車
貸切車当時 ステンレスボディ車